以下は、全学自由研究ゼミナール「学生がつくる大学の授業」のTAによる感想です。授業の概要はこちらをご覧ください.
前例のない実験的な授業
この授業は、受講者が実際に反転授業を行うというものであり、おそらく前例のない試みでした。どのように授業が進行するのか、そして肝心の受講者は集まるのかという不安を抱いたまま、私はTAとして第一回の授業に出席しました。集まった学生は専攻も関心も様々ですが、反転授業について学ぶことで自分たちが現在受講している東大の授業を客観視し、より効果的な授業形態を模索しようとする意志を当初からもっていました。そのため、アクティブラーニングの基礎知識の習得や、この種の授業には不可欠であるグループ単位での作業にも意欲的に取り組んでいる印象を受けました。きわめて実験的なこの授業が成功に終わったのは、反転授業という新しい考え方を受け入れるだけの旺盛かつ柔軟な好奇心を、彼ら全員が有していたことに起因するでしょう。
とはいえ、全13回にわたる彼らの格闘の結果残されたものは、反転授業を導入することによって得られる授業改善効果の見通しだけではありません。課題への取り組みを通して、反転授業に付随する様々な問題点が再認識され、反転授業を実践する上で不可避的に生じる困難が浮き彫りになりました。初回から最終回まで、TAという立場でその格闘の現場に立ち会ってきた私が、この授業の「成功」を敢えて断言するのは、反転授業の利点と問題点を肌で感じ取った受講者全員が、「反転授業を導入したい、ただし条件付きで」という結論に達した瞬間を目の当たりにしたからです。
反転授業制作に取り組む学生たち(左)学生による対面授業の様子(右)
彼らは、予習用動画教材の設計と制作に膨大な時間を費やさざるを得ないこの授業形式を、単に「面倒くさい」ものとして切り捨てるわけでもなく、かといってそうした作業が現実としてどの程度可能なのかに思いを致す暇もなく「理想の授業」として礼賛することに終始するわけでもありませんでした。自ら動画を制作し、教材を準備し、綿密なリハーサルを重ねて30分の対面授業を実施した上で、上記の率直な意見を「アクティブラーニング部門」の教員陣に対して臆することなく提示し、またそれが受け入れられたということは、この授業に携わった全員が反転授業という方法に真摯に向き合った何よりの証拠でしょう。
大学の授業をメタ的に捉える
この授業の受講者は、反転授業というレンズを通して半ば固定化された大学の授業形式に別様の可能性を見出し、そもそも「授業」が何のために行われてどのように設計されているのかをメタ的に捉え、教えるという行為のもつ面白さと危うさを授業実施者の立場から探究してきました。それは、広く「教育」というものへの本質的な思考を促すきっかけにもなることでしょう。受講者の中には教職を志望する者も含まれていましたが、彼らが将来教壇に立つかどうかは関係なく、例えば職場や家庭で、他者に何かを教えなくてはならない場面に直面したとき、この経験が必ず生かされると私は確信しています。
TAを経験して
最後に、この授業におけるティーチング・アシスタント(TA)の役割について記し、筆を擱きたいと思います。一般に、TAに期待される役割は授業を担当する教員によって千差万別です。場合によっては雑用のみを命じられ、肝心の授業時間内は教室の隅に追いやられて無名の「使用人A」と化すケースも珍しくありません。たしかにこの授業でも、機材準備や記録用の写真撮影といった裏方の仕事はTAの重要な役目でした。しかしそれだけではなく、ときには受講者に交じってディスカッションに参加したり、あるいはファシリテーター役となって議論の整理や受講者の気づきを促す機会もTAに与えられました。アクティブラーニング型の授業では、教員側が学生間のディスカッションをうまく方向づけ、適切なフィードバックを与えることが決定的に重要になります。その点からしても、アクティブラーニングを存分に活用した授業実践を志向する私にとって、TAとしての活動を通じてその入り口に立てたことは得難い経験となりました。
(総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程・日本学術振興会特別研究員DC1 学谷亮)
全学自由研究ゼミナール「学生がつくる大学の授業」の概要はこちらをご覧ください.