アトリエとしてのKALS――O JUN先生インタビュウ【2】

【1】の続きです。

4.プロの作家による実技指導

中村 今、先生の普段の作家としてのお話がありました。先生ご自身の創作活動と授業とは、どちらかがどちらかに影響するといったことはあるのでしょうか。
O JUN 藝大のときもそうでしたけれども、東大でも学生たちのドローイングの中に、絶対どう逆立ちしても僕には描けないなというのはありますね。一人一人の見ていることや―それに手が付いていくかというのは置いておいても―見ているものについて描くことでもって何とかそれを表現しようという、その道筋を何とか自分でつけようという部分というのは、本当にそれぞれ100人いれば100通りあるわけで。絶対に自分はこの道筋は通らないなというものを描いたり表現してきたりする学生はいますね。それは見る度に、じゃあおまえはどうなのだというふうに突き付けられる感じがありますね。
中村 面白いですね。構図の切り取り方や感性みたいなことなのでしょうか。
O JUN そうです、そうです。他にも、色鉛筆一本の使い方とか、こういう筆圧や筆触で自分は描いたことがなかったとか。何十年も使っているにもかかわらずですね。
中村 それは、学生がまだ若くて経験が少ないからなのでしょうか。あるいは、個人差というか、感じ方が人それぞれで違うからということなのでしょうか。
O JUN どちらもあると思います。もう少しトレーニングを積んで、例えば再現性のトレーニングとか、もっと描写的なトレーニングとかを積んでいくと、逆に今のそういう部分は消えていくかもしれないですよね。だけども、かつてそのときに描き表した物っていうのは、物として残っているので、それをまたずっと自分が先にいったときに見返す機会があります。僕なんかもしょっちゅうあります。当時は、ただひたすらうまくなろうと思って描いていたわけですが、何か図らずも出ていた雰囲気とか表情みたいなものに気づきます。それからもう何年も何年も制作を続けていって、もうとっくにそういうものを忘れてしまって、見返すと、こんな見方をしていたのかということに気づくわけです。それをもう一度やろうというわけではなくて、それを見たことが刺激になって、別の道筋がちょっと見えてきたり。そういったことが起きている気がするのです。
中村 そういえば、昔自分が書いた小説を読み直して、そこに刺激を受けて新しい作品を生み出すという小説家のお話を聞いたことがあります。
O JUN それと同じようなことだと思います。時間が経って他人事のように見えるわけですね。とりあえずどういうようなかたちでもいいから、今これを描きとどめておくということが大事かなと思います。
中村 そういった意味では、今学生達がこのコロナ禍という特殊な状況下で描いていたものが残っていて、この後卒業してから見返したりする機会があるというのは大事なことのように思います。
O JUN そうですね、そういう機会があれば幸いじゃないかなと思います。

5.授業設計・実施における工夫

中村 最後の回に展覧会をやるということもありますし、そういった意味でも作品がきちんと残るわけですね。
O JUN 展覧会については、どういう形にしようかなと、今それを考えています。美術館とか博物館で企画展があるときに、その動線に沿っていろんな什器や壁を作ったり展覧会の器を作る知人がいます。いろいろな展覧会を手がけている人なのですけれども、その方に来ていただいて展覧会を作る話をしてもらおうかなと。
中村 僕は、展覧会を見に行ったときも、それがどのように作られているかといった舞台裏までは考えたことがなかったです。
O JUN そういった話をしてもらうと、今まであまり意識しなかったところにも目が向くかなと。限られた時間の中での授業ですけれども、なるべく毎回いろいろと楽しんでもらえたらなという思いもあります。
中村 そういった工夫に関していえば、先生の授業では円になる回があったりして、回毎にレイアウトを変えられていますけれども、その辺りの意図はどういったところにあるのでしょうか。今の毎回楽しんでもらいたいというのもあるとは思いますが。
O JUN KALSの、何ていうのですかね、非常に動かしやすい机。
中村 まがたまテーブルと呼んでおります。
O JUN とても組み替えやすいので、じゃあここで3人1組になったり2人1組になったりして、共通の課題をちょっとやってごらんとか交換してごらんとか、教員にとっても授業のヒントになっていることが多いのではないかなと思います。

KALSのまがたまテーブル

中村 水彩を使えるのがwaiting roomのみだからというのもありますけれども、教室空間についてもメインのstudio以外も含めて広く使っていただいていますね。
O JUN もし実技そのものをきちんとやろうとなったら、美大藝大のような施設は無理でも、1部屋でもアトリエみたいなものが東大にも必要になると思います。けれども、既にKALSがあって十分活用できていて、逆にそれによって今まで美大や藝大の中でできなかったような授業形態みたいなものが模索できているのもいいのかなと思っています。

KALSの空間配置図

中村 反対に、何かこれがKALSにあったらもっといいなといったものはありますか。
O JUN 例えば、机を全部なくして床だけで、ただ、だだっ広いだけの部屋という使い方もしてみたいなと思っています。床一面に大きなロール紙をだーっと広げたときには、かなり大きな画面になるので、協働的にドローイングをやっていくっていう、そういう何か遊びのようなことも可能なのかなと。
中村 藝大だと当然そういう部屋があるわけですものね。
O JUN 水場があって、それであともうがらんとしていて、椅子などは、いつもあるところから各自持ってくるっていう。基本的にただの箱なので。
中村 実は机と椅子をstorage roomに全て収納することもできるので、KALSでもそういった使い方をしていただくことも可能ですよね。
中澤 はい、可能です。それに関して、先生が先ほどKALSだからこそできる活動とかもあるということをおっしゃっていましたけれども、藝大・美大のアトリエにここの学習環境を近づけようとされているのか、それともここはこことして、アトリエ的なこともできたり、あるいは他のこともできたりといった意図があるのかというのをお聞きしたく思います。
O JUN ここの空間を授業の中でどうアトリエ化するかということが大事かなと。学生達にも言ったのですけれども、ここは、5時5分から6時35分までは、それぞれのアトリエだと。なので、各自でいろいろと使い方を工夫してくださいと。基本、絵を描くというのはどこでも描けるのですよね。僕も、もう大学を辞めて天井の高い研究室はないので、本当に自宅の中の4畳半か、そのぐらいのところで描けるものを描いたり、作れるものを作ったりしているのですけれども、それでも組み合わせて大きくすることもできますし。ここのところずっと展覧会が続いていて自転車操業的にやっているので、家の中が大変なことになっていますが、それでも使い方を工夫すればできるので、絵というのはそういうもの。物を作るというのはそういうこと。人の行為というのも、やはりそうなのだろうなと思います。
中澤 面白いですね。
O JUN だから、物理的な場所の大きい小さいということは必ずしも制限にならないのではないかなと。学生達がこの教室でどういう使い方の工夫をするか。もう少し自由に席を移動してくれてもいいのですけれども、そこら辺はまだちょっと遠慮しているのかもしれません。例えば、こっちの大きいほうの部屋 [studio]で大きいものを描いて、水彩を使うときにはこっち[waiting room]に来るとか。それができる部屋なので。
中澤 学生達に自分自身の学習環境を作ってほしいというのは、すごく面白いなと。先生側が学習環境をデザインして用意する授業が多いですよね。
中村 この授業ならではという感じがしますね。
中澤 実はKALSをつくる際にお手本の一つにした、はこだて未来大学の教室は、美大のアトリエをヒントに学習環境をデザインされています。アトリエのよさというのは、教育工学的には、例えば学生がキャンバスに向かっていて、そこを先生が歩きながら学生と対話をして、その様子が他の学生も分かるといったところにあると言われています。
O JUN 僕、絵描きなものですから、自分の制作メディウムは絵画ですけれども、もし映像をやっておられる方が講師として授業をされるならば、この大きな4面スクリーンを使って、いろいろな形での展示も可能だろうなと。一部屋全部を映像作品の空間にするとか、これからそういう作家を講師として迎えられるのもいいかなと思います。

(文責:中村長史)